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2017年 中之条ビエンナーレ

群馬 中之条
2017年10月

於是亦高木大神之命以覺白之
天神御子自此於奧方莫使入幸 荒神甚多
今自天遣八咫烏故 其八咫烏引道從其立後應幸行

於是(ここに)亦(また)高木大神(たかきのおほみかみ)之(の)命(みこと)を以ち覚(おぼえ)に白(まを)さく[之]、
「天神御子此(ここ)自(よ)り[於]奧の方(かた)に莫(な)使入幸(いでましめ)そ。荒ふる神甚(いと)多(おほ)し。
今天(あま)自(よ)り八咫烏(やたがらす)を遣はす故(ゆゑ)其の八咫烏の引道(みちびき)まをし、其の立たし後(のち)従(よ)り[応]幸行(いでま)すべし。」

 そして神倭伊波礼毘古命(かむやまといはれびこのみこと)は、その地から回って熊野の村に到着された時、大熊が一瞬出入りし、すぐに姿を消しました。
 すると神倭伊波礼毘古命は見るみる体調を崩し嘔吐し、御軍に及び皆嘔吐して倒れました。 この時熊野の高倉下(たかくらじ)は一本の太刀を持ち天つ神の御子のところに参り、伏して献上した時、 天つ神の御子は間もなく目覚め起き上がり、「こんなに長く寝ていたのか」と仰りました。 そしてその太刀を受け取られた時、その熊野の山の荒ぶる神を自ら皆切り倒し、よってその前後不覚で倒れていた御軍は悉く目覚め起き上がりました。
 そこで天つ神の御子はその太刀を獲たいきさつを高倉下にお尋ねになり、 お答え申し上げました。「己(おのれ)の夢のお告げがありました。 天照大御神と高木の神、二柱の神の命(めい)をもち建御雷神(たけみかづちのかみ)を呼び出されてこう仰いました。
 『葦原(あしはら)中つ国はひどく騒がしく、 我らの御子たちは平定できない様子であります。 その葦原中つ国はお前に交渉を任せた国なので、お前こと建御雷神が降りるべきです。』と仰りました。
 しかし、それにこうお答えしました。
 『私目が降りずとも、十分にその国を平定できる太刀がございます。この太刀を降ろせばよろしいのです。 【この太刀の名は佐士布都神(さじふつのかみ)、別名は甕布都神(みかふつのかみ)、布都御魂と申します。この太刀は石上(いそのかみ)神宮に鎮座します。】 この太刀を降ろす方法は、高倉下の倉の屋根のてっぺんを穿ち、そこから落とし入れます。』とお答えしました。 そこで、ちょうど朝に目覚めたらお前が取り持ち、天つ神び御子に献上せよと夢のお告げがありました。
 そこで、夢の教えに従って翌朝に己(おのれ)の倉を見たところ、実際に太刀がありましたので、この太刀をお持ちし、献上したところでございます。」とお答えしました。
 ここに、また高木の大御神のお告げにより覚えていたことを申し上げました。
 「天つ神の御子はここから奧の方へお出かけになってはなりません。荒ぶる神が大変多くいます。 これから、天より八咫烏(やたがらす)を遣わすので、その八咫烏が導いて差し上げる、その姿の後に就いてお出かけください。」

古事記より 神武天皇の東征